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会社設立エピソード:番外編

阪神大震災をきっかけに田村さんと再会し、「せっかく助かった命だから社会のために使おう」と会社設立を決めたことは、「ASCA創立メンバー対談」の記事でもお伝えした。
準備を含めたその一年間の舞台裏をここに番外編として紹介する。

『小さな会社の作り方』という本を買い、設立のための1000万円をまず準備したものの、経験もなく、手探りである。お金をどうするか、事務所をどうするか、何をするのか。
当時私は35歳、名刺も持たない一人の若い女性に誰もオフィスを貸してくれないし、銀行だってお金を預かってくれない。コピー機一台をリースする許可も簡単に下りず、ないない尽くしでへこたれそうになったことも。

田中直隆著「小さい会社のつくり方」

それでも、「捨てる神あれば拾う神あり」で、管理会社を説得してくださったビルの守衛さん、「面白そう」と話を聞いてくれた銀行の担当者さん、いろいろアドバイスしてくださった公証人の先生や、私が作成した定款に異議を唱えた法務局の担当役人に対して助け舟を出してくれた別の担当者さんなど、どれほどの人に助けられたかわからない。

名前は、Alliance of Science and Communication Advancementの略語でASCAに。実際には、「聞きやすい、覚えやすい、海外にも通じる、日本的な文化や響きを持つ」名前を、と候補をいくつか挙げていた。田村さんと電話で話していた時に、たまたま新聞が手元にあり、「CHAGE&ASKAのコンサートがあるみたいですね」と言ったら、「私、ファンよ」と。「だったらアスカにしますか」と決まった。

かねがね母親は、「お前には苦労が足りない」という理由で起業を反対していたが、田村さんとの出会いなどを話すと、「頑張りなさい」と。お祝いに送ってきてくれたのは、一冊の黒い簿記台帳。「経理が商売の基本である」という意味。

会社を登記できたものの、どこから手を付けていいかわからなかった。
大阪を代表する「くすりの町」である「道修町(どしょうまち)」も読めなかった。製薬企業のことも、薬のことも何の知識も経験もなく、まったくゼロからのスタートなので、何をどうしたものやら。

まずは銀行口座の開設が必要である。銀行の窓口でいきなり、「大きな会社と取引するので当座預金口座を作ってほしい」と頼んだら困惑された。小切手を出せる当座がステイタス、と根拠なく思い込んでいた。支店長にプレゼンさせてもらい、結果的に当座を手に入れた。今から思うと世間知らず、恥ずかしい話である。

製薬メーカーの人や研究者は皆英語ができるものの、きちんとした英文ライティング、英語プレゼンテーションの勉強をする機会がない、とよく聞いていたので、それならプログラムを作ってセミナーをしよう、と考えた。当時プルーフリーダーをしてくれていたカナダ人と田村さんを講師にして、会議場の一室を借り、なんとか頑張って教材を作った。そのチラシを、(今ならできないが)大学の研究室の郵便受けにばらまいた。実務的な内容だったからか、受講生の方々に喜んでいただき、その中の数人はクライアントとしてその後もつながることとなったので、大成功だった。それでも、このときに割いた時間とエネルギーは相当なものだったので、続けることは断念したものの、手ごたえはあった。その経験が、今のASCA Academyにつながっている。

最初にもらった入力の仕事でエラーが発覚し、大いに怒られた。少額の仕事だったが、休日も皆で頑張った仕事だったので、そのクライアントの会議室で土下座した。どうしてもお金を支払ってほしかったのだ。請求書を目の前で破られた。お金を支払ってもらう重要さをここで学んだ。

マニュアルのレイアウトの仕事を受け、ひと月Wordで編集をしたことがある。途中でPCの調子が悪くなり、データが消えたら大変なので、そのままPCを抱いてパソコン屋さんに持って行ったこともある。新しいPCを購入し、何とか事なきを得た。この仕事のおかげでWordの編集をマスターし、お金ももらえたのでありがたい仕事だった。

ある製薬会社から、毒性試験の英訳の仕事をさせてもらう機会を与えられた。私にとっては全くチンプンカンプンだったが、田村さんにとってはお手の物。高い評価を受けて継続して翻訳を行い、結果的に、海外はもちろん日本でも承認され、今でも市販後の仕事でお手伝いさせていただいている。そのクライアントには本当にお世話になり、多くのことを学ばせていただいた。この薬剤がなければ今のASCAはなかっただろう。今でもその薬剤番号は私のおまじないである。

最初の一年は、知り合いからのご祝儀仕事でなんとか踏ん張ったが、もちろん大赤字で、毎月支払い日には胃が痛くなった。だから、25日はいまだに嫌いである。
私や田村さんの給料は税理士からすぐにストップがかかり、それでも支払いのために、自分のなけなしの貯金で補填し、それでも賄えない時は田村さんに借金をお願いしながら、しのいでいた。当然、最初に用意したお金はあっという間になくなった。だから、よほどお金に余裕がある人でないと起業は勧めない。

それでも、多くの人たちの励ましのおかげで今がある。本当にありがたいことだといつも感謝している。

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