ノーベル賞は努力賞?人類の発展につながる素晴らしい研究や活動が評価された
秋が来て、この季節になるとノーベル賞の発表で胸が躍る。
10月3日には「ノーベル生理学・医学賞」。絶滅した人類の遺伝情報を解析する技術を確立し、人類の進化につながる研究で貢献をしたスバンテ・ペーボ博士が受賞した。ドイツの研究機関の研究者であるが、沖縄科学技術大学院大学(OIST)にも在籍する。OISTはScienceに求人を依頼くださるので、とても嬉しい。
「ノーベル物理学賞」は、フランスのアラン・アスペ博士、米国のジョン・クラウザー博士、オーストリアのアントン・ツァイリンガー博士3人が「量子のもつれ」を解明した取り組みで受賞した。3人の成果をきっかけに、量子コンピューターや量子通信などの研究が盛んとなり、量子情報科学という新しい分野の開拓につながった。ツァイリンガー博士は、ペーボ博士が客員教授を務めるOISTから2022年5月に名誉学位を授与されている。
翌日の「ノーベル化学賞」は欧米の科学者3人が分子の結合を効率的に行う「クリックケミストリー」と呼ばれる手法の開発で受賞。抗がん剤の開発などにもつながっているのだと。その翌日は「ノーベル文学賞」をフランスの作家であるアニー・エルノー氏、続いて「ノーベル平和賞」には市民の基本的人権や権力を批判する権利を守る活動を続けてきた旧ソビエトのベラルーシの人権活動家とロシアとウクライナ、それぞれの人権団体が受賞。最後の「ノーベル経済学賞」にはFRB議長を務めたベン・バーナンキ氏など3人が選出された。彼らの研究が、銀行がなぜ必要か、銀行の破綻がいかに金融危機につながるか、を明らかにした功績が大きい、と。経済学賞が一気に身近になり、興味深かった。
ノーベル賞は遠い世界の出来事だった。それが2002年、ノーベル化学賞を田中耕一氏が受賞したニュースに驚嘆。年齢が同じで、それも島津製作所勤務、ノーベル賞が身近な存在になった瞬間だった。その直後に京都で開催された「日本分子生物学会」での登壇に長蛇の列ができていたのが忘れられない。ScienceにiPSの論文を発表された山中伸弥先生の2012年の受賞には感慨深かったし、2015年、日本人初、感染症領域のノーベル賞を受賞されたイベルメクチンの大村智博士の講演に参加させていただき、大感激。物腰は柔らかく、どこに行くにも袋を持ち歩き、土を集め、その菌の中から、疥癬の治療や、熱帯地方特有のオンコセルカ症という失明につながる特効薬を開発され、10億以上の人を救ったというのだからすごすぎる。
今年は日本人の受賞がなかった。でも、そもそもノーベル賞を作ったアルフレッド・ノーベルは、名言として、
「仕事があれば、そこが我が祖国。仕事はどこにいてもできる」
「毎年、賞金というかたちで、人類に対してもっとも貢献したと思われる人物に賞をあたえてほしい。いうまでもなく、賞をあたえるうえで候補者の国籍はまったく関係がない。」
と述べ、「行動力の重要さ」を説いていたという。「1000個のアイデアがあったとしても1個実現したら良い方だ。」と、技術や平和活動を含む人類の発展に貢献する人たちを称える賞である。
どの受賞者も、挫折や失敗も多かっただろうに、努力し、続け、可能性を信じて進む人たちである。私も、努力を惜しまず、諦めない、未来を信じて歩みたい。
Scienceが化学賞を紹介している。