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阪神淡路大震災をきっかけに起業 -石岡映子-

ある日突然、会社ブランディングを担うことになったASCAのなんでも担当、日下部です。みなさまこんにちは、こんばんは、そしてはじめまして。これからnoteを活用したASCAの魅力発信に取り組んでいきたいと思っています、素人です、よろしくお願いします!!

まずはやってみよう!ということで、人生の、会社のセンパイに、若手の特権をフルに使った「センパイになんでも訊いてみよう」のコーナーをはじめてみます。2022年入社の中で一番態度の大きい私が、トップバッターで”訊く”お相手は、大先輩石岡社長。

ホノルルのハーフマラソン完走時

今回は起業の経緯を中心に訊いてみました。


チームには下手な人がいても良い。

日下部:ベタな質問から。石岡さんはどのような幼少期を過ごされたのですか?ゴルフのイメージが強いのですが、昔から運動神経は良かった?

石岡:情けないほど運動オンチ。田舎で育ったこともあり、まわりのレベルが高すぎ。中高はバスケ部だったけど、ボール磨き専門、レギュラーにはなれなかった。
でもその時、「負ける人もいるから、勝つ人もいる。」ということを学んだ。勝つだけがすべてやない、プレイが上手い人を支える仕事も重要、腐らず続けることで乗り切った。

ゴルフは学びのスポーツ、だから面白い。

石岡:大概のスポーツはマスターできても、ゴルフだけは思い通りにいかない。メンバー、天気、場所、さまざまな要因が絡んで、どれのせいにもできない。

些細なことでイラつくこともあったが、ゴルフをはじめて我慢強くなった気がする。キレたら負け、まさに修行。メンタルの持ちようで人は変わる。

日下部:(石岡さん…..!!!!聞きたいけど…..聞きたいけど…….ゴルフの話で終わってしまいます…..!!!!!!)

難題を走り回って解決する若手時代。

日下部:起業される前は、老舗の翻訳・通訳会社で働かれていたと聞きました。どのような社会人だったのですか?

石岡:当時の日本は女性の就職先がなくて、たまたま大学の先輩から紹介してもらった先がその会社。国際化が急速に進んだこともあり、就職してから数年、息つく暇も無かった。

複数案件は当たり前、仕事の解決策を教えてくれる人もいない。とにかく走り回って、聞きまくって解決するしか無かった。ただ、大概のことは努力を続ければ上手くいくし、人が支えてくれる。気づけば初の管理職にもなってしまった。

「生きてるだけで良い。」

日下部:出世コースだったのに、なぜ退職して起業の道に?

石岡:出世コースも浮き沈み、天狗になっていたこともあって、それが原因で飛ばされたこともある。そういう時は出向させられるんやけど、その時に、他社をたくさん見た、それがきっかけだったのかもしれん。

振り返って自分をみたときに、40代、50代の未来が見えなくなって、「自分のために時間を使いたい」と思って退職。

日下部:なるほど、起業を意識した退職ではなかったんですね。それでは起業のきっかけはどのようなことだったんですか?

石岡:1995年1月の阪神大震災がきっかけ。ものすごい揺れで、TVつけたらありとあらゆるところで煙があがって、次に見た時には大勢の死亡者リストが流れてきた。

そこに、知っている人の名前が流れた。
大変お世話になった、フランス語の通訳者さん。
知っている人が亡くなる経験が無かったので、心がざわついた。
大好きだった三宮の街も瓦礫の山となってしまった。
明日は死ぬかもしれない、生きているだけでもありがたく、なにかできないか?
神戸に住む尊敬する翻訳者の家にお見舞いに行き、同じ思いを共有。
気づいたら起業を決め、4月には設立した。


取材を終えて

勝つ人も負ける人も、いつかは死ぬ。
誰だって得意なことや苦手なことがあって、一人生きていくことは難しい。

だから、世の中に会社は必要なのだろう。

勝ち負けではなく、多様な人を受け入れることができる。
圧倒的な行動力。
そしてなにより、ひとを想うことができる。

今回の取材で、改めて石岡社長の魅力を知ることができた。
個人的な見解だが、法人は、創業者の想いが一番反映される。

多くの人がASCAと仕事がしたいと感じるルーツはここにあると、改めて実感した。


話し手:代表取締役社長 石岡映子
取材・文:なんでも担当 日下部優